掌編小説①~水仙の花~

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花瓶に生えた水仙の花は、別々の方向に頭花を下げていた。

 

「おめでとう!」同じ空間で働いていた人達が、温かい拍手をくれた。

 俯きながら首を掻きむしる。存在を認められている気がして、転勤がなくなればいいのにとすら思ってしまう。自分で望んだにも関わらず。

頬を緩めながら視線を戻すと、仁木さんと目が合った。彼は苦虫を潰したような表情をしていた。気まずそうに視線を下げ、履いているスリッパの先と見つめあっている。

そしてもう一人、彼に似たような表情をしている存在にも気づいていた。

ソレがコチラを見ていることにも。しかし、視線を合わせることはない。僕はソレの目を見てはいけないのだ。

 

誰にも知られることなく、男女の関係は静かに始まった。 そして、突如修復のできないカタチで破壊を迎えた。

 

 修復│言葉の響きに違和感を覚えた│僕が彼女に捨てられたのに、修復は壊した側にしか再構築するコトができないに。

口を強く紡ぐ。一人で生きていけるほど逞しい人間じゃないコトくらいは自分でもわかっている。

ならせめて、僕を知る人が誰もいない場所へ行こうと転勤届を出した。愛されていない僕のコトを、誰も知らないところに行くのだと思うと、普段重い腰は急に軽くなった。

このくらい決断力が普段からあれば、あんな思いはしないで済んだのかもしれない。いまだにそんなくだらないコトを考えてしまう。

僕の価値はソレに与えられる愛で構築されていた。自分の価値はいまや地に落ちた。

 

「早坂くん、関東支部でも頑張ってね」

 強張っていたのだろう。覗き込み確認するように問われてしまう。

「はい。小林さんの顔に泥を塗らないよう頑張ります」

 精いっぱいの笑顔をみせても、彼女の表情は変わらなかった。

「早坂くんなら大丈夫」と、ほかの人には聞こえない小さな声で囁かれる。

 

僕が彼女に迷惑をかけたのは一度や二度ではなかった。

昔から初歩が遅い僕は、完全に会社のお荷物となっていた。

 そんな僕の尻ぬぐいをいつもしてくれたのが小林さんだった。一番見てくれていたのも彼女だ。

「本当にお世話になりました」

 自然と口から漏れた言葉、首をかきむしる。

「本当に、四年間お世話いたしました」

 背が僕よりも三十センチほど低い彼女は、精いっぱい胸を張っていた。自慢の後輩を送り出す上司の姿にみえた。

「小林さんが上司で良かったです」

 彼女は俯きながら髪の毛を耳にかける。表情は見えなった。

「本当に?厳しくしすぎだぞって仁木さんによく怒られていたんだけどね」

「あぁ、そうなんですか」

「結構注意されてたんだぞ」

この世で一番殺意を覚えた人間が自分を擁護していた話。 ふつふつと胸に何かが込み上げてきた。

ゆっくりと深く肺に空気をいれた。悟られないように努め、息を吐きながら一気に言葉を出す。

「あの時の小林さん、本当に怖くて今思い出しても手が震えますよ」少し大きな身振りをつけて言い放つ。

すると彼女は笑いながら、「なに、それ」と必要以上に大きな声で言い放った。声が響いたコトで、ソレがコチラの方を向いたのを感じた。僕は小さく首をかきむしった。

 それとなく小林さんに視線を戻すと、再び彼女は俯いていた。

しかし、今度はどんな表情を彼女がしているかすぐにわかった。笑い声が少しだけ漏れていたのだ。

「なんで笑ってるんですか?」

「いやぁ、怒っていたと思えば、今度は嬉しいコトがあったんだなぁって。忙しい人だね、早坂くん」

全身が急に重たくなった。ソレに見られて喜びを感じていたコトを言葉で自覚させられた。それも、信頼していた上司に嘲笑されながら……。すでに体温の調整はできなくなっていた。

ゆっくりと小林さんを見下ろす。此方を見つめる彼女の表情は、過去に一度だけ見た記憶があった。大きなミスをしてしまい、もう首が回らなくなって辞表を書いて彼女に提出した時の顔だ。

あの時も今も、目を併せるとすぐに分かった。

怒っているのとは、どこか違うのだ。

「どうしたんですか?」今度は僕が小さい声でかすれるように呟く。他に言葉が思いつかない。

 抑えきれないような溜息が聞こえた。そして、小さな拳が一つの塊になり、再びコチラを睨みつける。

「上司として最後に一つだけ、命令をしていいかな。」

 声が上手く出せない。仕方なく静かにうなづく。

 

「瞳ちゃんと最後に挨拶してから会社をでなさい。そのあと、私の携帯に電話して」

 

僕は四年間勤めた会社を後にして携帯を手に取る。

 

 水仙の花は規則正しく花瓶のなかで向かいあっていた。